ヴェーダでは、「何であれ行いをする時、すぐに叶う結果としばらくしてから叶う結果の両方を考慮して行わなければならない」と教えています。

私たちが行いをすれば、必ず結果は返ってきます。

私が机を思い切り叩けば、私の手は机から同じ力で叩き返されます。

行いとその結果を結んでいる法則によって、結果は平等に実を結びます。

法則は間違えたりしないので、法則と呼ばれています。

各分野における最先端の技術は、すでにあったけれど知られていなかった法則を発見することで発展します。

発見された法則を使い、望む結果を出そうとすることによって薬や機械などを開発します。

人は法則を考慮して計算通りの結果を導き出すことができますが、法則そのものは作り出すことができません。

法則は決して間違えたりしないけれど、人間はよく欠陥商品を作ってしまうことがあります。

自然界に一つでも人工的な動物を加えてみれば、たちまち生態系は崩れるかもしれませんし、そもそも生き延びる事が出来ないかもしれません。

即効性のある薬を開発しても、副作用があるかもしれません。

農薬や肥料によって効率的に大量の食物生産ができるかも知れませんが、土は死んでしまうかも知れません。

すぐに返ってくる結果だけを考えるのではなく、ずっと先に返ってくる結果までも考慮して選択をしなければならないという事をヴェーダは何千年も前から言っています。

更に、ジーヴァンムクタと呼ばれる聖者は「私たちは失敗から学ぶのではない、経験から学ぶのだ」と言います。

結果に執着を持たない賢者にとっては失敗も成功もないのです。

なぜなら、その人にとって自分の意味は「全体」にあって、自分自身に落ち着いているので、行いの結果によって幸せになったり不幸になったりする「エゴ」からは自由なのです。

自分自身の意味を知らない事が全ての問題行動の原因だとも言われています。

自分自身の意味がこの小さな小さな体であれば、全体のことを考慮することも出来ないし、未来の存在や目に見えないくらい小さな生き物の存在まで考慮することなんてできません。目先の利益優先です。

ということで、私のような凡人は人生をかけてよくよく考慮する練習をしなければなりません。。。

机を殴った人は同時に机に殴り返されているように、行いをした人は同時にされた人でもあります。

例えば、傷つける、嘘をつく、盗む、欲張るなど、すればするほど自分に返ってくるということです。

ヴェーダの文献はまるで父親や母親のように私たちに「物事の本質を見極めて、慎重に行動をしなさい」と教えています。