アーユルヴェーダの故郷、ヴェーダの文化では食事は儀式として扱われています。

食事をとることは、肉体に宿った消化の神様にお供物を捧げる行為と認識されます。

消化機能だけではなく、呼吸機能、循環機能、排出機能、5つの感覚器官、5つの行動器官、感情・気分、意志、記憶、自我、意識など全ての機能に神様の名前がつけられています。

なぜ神様かといえば、肉体を維持している各機能は個人が作った物ではないし、母親や父親が作ったものでもありませんよね。私たちの体や考えが機能して秩序が保たれていることは個人の手の内にはないことは明らかですから。

肉体を生かしている各機能に個性豊かな神様の名前を付け、考えの中にそのことを思い描きやすくすることで、当たり前に思っていたことや与えられているものに対して感謝の気持ちが芽生え、人の心に謙虚さをもたらします。それが結果的には個人の幸福感に繋がるのです。

消化は食物を分解して肉体を構成する構成要素に再構成します。例えるならレゴで作られた自動車をバラバラにしてロボットに作り変えるようなものです。つまり変換する働きなので「火」の神様の名前が付けられています。

火は燃やすことが仕事で、燃やされたものは灰へと変換されるからです。

消化力が火に例えられるなら、食物は薪といったところです。

それはちょうど、護摩焚きのようで火(消化力)を神様に見立て札(食物)が捧げられることと同じです。

そんな儀式の最中に、スマホを見たり、喋ったり、大笑いすることは好ましくないので、静かに集中して食べることが勧められています。

食事に集中しないと美味しさや質の良さがわからなくなり、食物が気道に入ったり、消化が阻害されることになるとアーユルヴェーダは言っています。

食事の最大の目的は満足感を得ることです。食物の香り、味、色、音、食感を味わって食べることで満足感が得られ、それが健康に繋がるというのです。

おしゃべりして酸素と共に食事が食道に入ると、通常は肺で代謝されるべき雑菌が胃に入り、ゲップや膨満感に繋がります。

楽しい会話は食事の前後にするか、せめて食べ物が口の中に入ったまま喋ることは控えたほうが良いですね。

そして、食物は供物ですから、食物をけなしたり、他人の食物を欲しがることは控えるべきだと言われます。

お神酒にケチつける人はいませんよね。お神酒についてこれは良い酒だとか安い酒だなんて評価したりしないように、誰かに作っていただいたものや人様が食べているものを評価することは思っている以上に罪深いことなのです。

人が食べているものを見て「そんなもの食べて…」なんてよく聞きますが、食べている人からしたら最悪ですよね。

食べ残し、時間が経った食事、人にけなされた食事も生命エネルギーの抜けた食事だと言われています。

どんなものが出てきたとしても、自分の目の前に出てくるまでにこの食事がどれくらいの人の世話になったのかを思い描き、感謝の気持ちを持って頂くこと、作りたての食事を頂くこと、集中して味わうことが大切です。そうすることで速やかに食物のエッセンスが身体を滋養するとアーユルヴェーダでは教えられています。