ヨガクラスにいらしている生徒さん(といっても年齢は私の大先輩なので、いろんな意味で頭が下がります)が、ヨガの後に感想をくださいました。

 

シャヴァーサナの時、普段は思い出さないような子供の頃の記憶が、よく蘇ってくるそうで、

そんな回想の中で、お父さんからとても愛されていたんだなぁと、しみじみ気がついたそうです。

子供の頃、お父さんは自分が欲しい言葉をかけてくれることがなかったので、受け入れてもらえていなかったように感じていたそうで、お父様との関係がネックになっていたけれど、それはお父さんがそういうキャラクターだっただけで、自分が子供の頃に受け取っていた印象は事実ではなかったと、気がつき、未解決の感情が解決するような体験をなさったそうです。

 

未解決の感情といっても、普段から表立って自覚しているものではなく、心の奥底にしまってあり、忘れているので、自分ですらそのことに気がつかない程度のものだと思います。

 

その話を聞いて、ヨーガの教えが始まる前のイントロダクションでの先生の話を思いましました。

 

誰もが自分の中に子供がいて、その子供が良識ある大人のふりをして生活しているそうです。

しかし、無意識の部分を支配しているのは、そんな自分の中にいる子供だそうです。

無意識とは心の安定感や人に対する信頼感に関わる、自己肯定感のことで、

無意識が形成されるのは7歳まで。

母親や父親との関係がほとんどだそうです。

 

7歳以降は、何を好み、何を避けたいと思うかなどの自覚できる性格の傾向が、経験や記憶から作られるそうです。

 

自分の見たくない部分、醜くて卑怯で格好悪いところに蓋をして、忘れるようにしていますが、そこをあえて見て、自覚することで、それらの無自覚(無意識)な支配からの自由を得ると言われています。

 

勘違いしないで欲しいのは、生い立ちからくる自分の性格を直そうと言ってるわけではありません。

 

過去の記憶や経験、生い立ちなど変えられないものを変えようとして時間を無駄にする必要はありません。そっちの方向ではなく、自分の性格を知り尽くして、上手に取り扱う方法を見つけるのです。

 

自分の考えのくせやコンプレックス、自覚できるものから出来ないものまで、何かしらの事情があって形成されているということを知り、それらに振り回されるのではなく、それらを上手に取り扱えるように、「客観的」に気がついてゆく、客観的であればあるほどに、新しい選択肢が見つかります。

 

新しい選択とは、人を傷つけない、迷惑をかけない、嘘をつかない、全体の貢献になる…など

 

私のくせのある考え方が反応して、目の前の人に腹を立てているけれど、目の前の人は私が受け取ったようには意図していないかもしれない、彼にはそう振舞う何かしらの事情があるけれど、私にはその事情が見えないので、私のくせのある考えが、そのように受け取って腹を立てているのだ…

 

そんな風に、彼の態度や振る舞いに対して客観的であると同時に、自分の反応している考えにも客観的になることで、平等に物事あるがままを受け止めることができます。

一歩引くだけでは不十分、二歩引いて見るのです。

 

それができたら、もう聖人ですよね。

 

怒りはもっとも「強大な敵」と言われます。ものすごい力を持っていますね。

 

自分の触れて欲しくないところに触れられた時、過剰なまでに怒りが爆発!もう本人にも止めることはできません。

 

恐れや不安からくる焦りが怒りにつながっていたり、怒りの出処を見てみると、外側の出来事ではなく、内側に眠っているのですね。

 

あたかも目の前の人の態度や振る舞いが私を怒らせているように思えるかもしれませんが、怒りはその本人の中にあるのだと言います。

 

外側の出来事ををきっかけに、内側にある怒りが溢れてくる、愛情だって同じだそうです。

夫は自分の愛しさゆえに、妻を愛し、妻は自分の愛しさゆえに夫を愛している…

そんな、お話もありました。

 

なんだか、もともとのヨガの感想からずいぶん話が発展してしまいましたが、次のクラスがあるので、ここまでにしまーす。