昨日は、チサトさんによる「ココロ取説」ワークショップが、KFまちかどホールで行われました。

いつも通り、やっぱり、ワークショップの様子を撮り忘れて、終わってホッコリしている写真だけが残りました…

チサトさんは素敵な方です❤️(写真の左側)

チェータナーナンダ先生から一緒にヴェーダーンタ(ヨーガの教え)を教わっている仲間であり、私の一歩先でいつもお手本になるような姿勢を見せてくれるお姉さんのような存在です。

せっかくなので、ワークショップを振り返ってみたいと思います。

「こころ」ってどんなもの?

心が踊る、心が乱れる、心が弾む、心が揺れる、心ここに在らず、など、移り変わるもので、なんとなく感情や気分のことで、精神的な働きを指すのかな?といったところでしょうか?

とてもアバウトなイメージで捉えていますが、ヨーガでは、「こころ」の事を「かすかな身体」と呼んでいて、「17の機能を持つもの」であるとハッキリと定義しています。

ヨーガは、「タットヴァヴィベーカ」と言って、「真実を見極める」事です。
要は、ハッキリと識別して、何が何たるかを知る事です。

単純に、知らないと不安ですよね。

例えば、知っている町にいる時と、外国の知らない町にいる時、外国語を知っている時と、そうでない時…等、全然違いますよね。

知っていれば、恐れや不安から自由になります。

例えば、暗闇でロープが蛇に見えて、恐れる必要のない事に恐れを見ているようなものです。パッと明かりがついて、ロープであると真実を知った時、恐れは去ります。

不機嫌な顔をした知人が前から歩いてきて、何か私は悪い事をしたかしら?不安になったとします。あの時、こんな事をして…それが悪かったのかしら?どんどん妄想は膨らみます。でも、彼がお腹を壊していて、体調が悪かったから不機嫌な表情だった、という事実を知ったら、不安は去ります。

ヨーガは、私たちは、本来は何も問題がないのに、問題のないところに問題を見て、恐れる必要のない事に恐れを見ている、と言います。

曇りのない鏡が綺麗に反射するように、曇りのない心が物事を歪める事なく、ありのままに映し出すように、考えを綺麗にする事がヨーガだ、と私の先生は教えてくれました。

「アンタッカラナ シュッディー  最も身近で使っている道具(考え)を綺麗にする」

「綺麗な考え」とは、単純にお洗濯して磨かれたものという事ではなく、価値構造の整った、整理整頓された考えの事です。

何がなんたるかをハッキリと識別してゆく、真実を知るための方法論が、伝統的に師から弟子へと伝えられ、変わる事のない教えが、今でも私たちに恩恵を与えています。

前置きが長くなりましたが、ワークショップでは、ヨーガでは「心」がどんな風に定義されているのかを見ていきました。

ヨーガの初級の聖典、タットヴァボーダの一節から、

かすかな身体 「スークシュマ シャリーラ」って何ですか?

① 空間・風・火・土・水といった5つの五大元素が、パンチークルタという、粗くなる工程を通っていないもの。

ちなみに、考えのことを「かすかな身体」というのに対して、肉体のことは「粗い身体」と呼びます。

「考え」は肉体のように触ったりできないので、解剖学的に捉えることはできないが、「夢を見ている状態」を思うと、「考え」だけを認識しているので、「かすかな身体」というイメージを掴みやすい。

② 調和な行いの結果、生まれたもの。

人間の身体を持って生まれてきたことは、とても吉兆なことであり、考えはとてもサットヴァな質を持つと言われている。

サットヴァとは、純粋な質のこと。

③ 心地良いや心地悪いなどの体験をする「道具」。

肉体は、その道具を使う「場所」とされている。

(17の機能の説明はココから↓)

④ 5つの感覚器官(聴覚・触覚・視覚・味覚・臭覚)

⑤ 5つの行動器官(手・脚を動かそうとする意思・排泄しようとする意思・話そうとする意思・子孫を残そうとする意思)

⑥ 5つのプラーナー(呼吸・消化・循環・排泄・死)

プラーナーは日本語で「気」と訳され、エネルギー代謝をする器官のことを指す。

⑦ 1つのマナス 感情・気分などの揺れ動く考えのこと。

⑧ 1つのブッディー(知性)1+1=2、地球は丸い、私は日本人 等の揺れ動かない考えのこと。

そして、記憶、私はこんな人というセンス(エゴ)も分類されます。

考え(ココロ)がこんな風に17の機能を持つものであるとハッキリ定義されました。

考えは道具、それを使っているのが私。

考えをハッキリ識別することで、考えから自由な自分を発見します。

考えの働きに巻き込まれて、一喜一憂することから、少し距離を置くことができ、落ち着いて座ることができます。

考えを識別して、認識している時点で、認識されているもの(考え)と認識しているもの(私)との間に少しだけスペース(ゆとり)ができていますね。

チサトさんのワークショップで、呼吸を整え、アーサナをしながら、ほんの一瞬だけど、ゆとりが垣間見れました。

「私の考え」と「それに気がついている私」との間に「ゆとり」があればあるほど、ココロの鏡の曇りが晴れ、綺麗に鏡が反射するそうですよ〜

ヨーガの聖典では、考えの17の機能に、それぞれ神々の名前が付いており、考えは神々が現れたものと言われています。

優しさや思いやりで溢れている時、嫉妬や怒りで燃えている時より、ずっと心地良いように、ココロが本来の純粋な輝きを映し出しますように。。。

スッカリ曇りきった自分のココロに気がついた1日でした…気がついて良かった。。。

こうであるべき、こうでないべき、これを得たい、こうしなければ良かった、この人にこうあって欲しい、こう思われたい、といった機械的な考え、曇った考えが映し出す、執着から、ほんの一瞬、解き放たれ、リラックスしている私と共に座る心地よさを味わえました。