樹木希林さんが若者へ向けたメッセージ


私は何だかモサーッとしていて、運動会でもいつもビリでした。だから6年生の水泳大会ではクロールや平泳ぎじゃなく、「歩き競争」というのに出たの。そんな種目に出る上級生は私だけ。あとは小さな低学年の子たちでした。

そんなわけでタッタタッタと歩いていたら、あっという間にゴールして1等賞になっちゃった。そしたら、賞品がね、他の種目と同じなのよ。周りの6年生が「なんだ、こいつ。ずるい」と不平を言ってるのが聞こえました。

たぶんこの時、他人と比較しても意味がない、ということを覚えたんだと思う。それは今も続いています。

出典:2018年5月10日 朝日新聞朝刊 『語る 人生の贈りもの』から


周りと比べても仕方がないのに、子育てをしていると、つい子供に言ってしまって後悔することがある。

「○○君はこうしているよー」

一人一人の違いこそが美しいのに…

わかってないね〜、ママは。

 

それぞれが、それぞれのやるべきことをすれば、筋道通りおさまるようにできているのに。

余計なことをやりたくなってしまって、しっぺ返しを頂く。

必ず、行いの結果をもどしてくれる。とても公平な宇宙の秩序。

ヨーガでは、自分の役目を放棄して、誰かの役目をすることは罪だと言われています。

一つの役目が他の役目より優れているとか、劣っているということはありません。

目が耳より重要とか、肝臓より腎臓がえらいとか…そんなことはない。

それぞれがそれぞれの分野で重要であり、その分野において、なくてはならないものなのです。と教えられています。

一人一人、社会での与えられた役目があって、その役目を果たすことで全体の調和が保たれ、調和の保たれている全体の中で一人一人が生かされています。

個人の私が自力で生きているというプレッシャーから解放され、全体の中で生かされているという事実に目を向けてみる。

客観性のある視点を持つことは、先入観や執着心を緩和して、偏りのないあるがままのものの見方を育みます。

自分自身を苦しめている感情、コンプレックス、嫉妬、恐れ、不安、寂しさ、怒りも客観性によって緩和されるはずです。

 

身体、知性、感性、個性、家柄、能力、出会い…

与えられたものを使って得た技術や知識を

個人の私の利私欲を満たすためだけに利用するなんて、

自分の小ささを証明しているようなもの

 

振り返ってみれば、母親から与えてもらったものは数知れないのに

それに引き換え、自分が与えて返したものなんて……無し!

今は私が母親という役割を与えてもらっていることに感謝です。

 

食べ物、水、空気、身体、知性だってなんだって

与えられたものしかないじゃない。

自分の与えられた役割を正しく全うすることで、

全体の秩序に参加できるということ

その価値を知りますように。。。