アーユルヴェーダの先生のお話を聞いたときに、

「体の自然現象は抑えないでくださいね。」と言われたのを覚えています。

『ため息すると幸せが逃げるってよく言うけれど、ため息は緊張のリリースになるから、神経をバランスさせることができるんですよ〜』って、『ため息してね〜』ってアーユルヴェーダの先生は言っていました。

体の自然現象って他に何があるかな…

咳、くしゃみ、げっぷ、おなら、あくび、眠気、尿意、便意、射精、食欲、涙が出る、笑う、怒る?!

そう考え出すと、感情も自然現象?ってことになってくるのかしら。

感情は起こそうと思って起こしてるわけではなく

何らかの出来事をきっかけに感情が溢れてくるわけで…

感情も溜め込んじゃいけないだろうけど、吐き出しまくっていたら周囲との調和が保てないではないか?

それを言い出すと、思考だって自動的に湧いてきて

連想ゲームのように続いてゆく

思考の連鎖はどこから始まって、10秒後にはどこへ行くのか私自身にも知られてはいない。

もはや自然現象じゃないものなんてないのかも…

自然のプログラム通りに生きることは果たして良いことなの?

 

人間には、動物のような自動的なプログラム(習性)だけではない、理性や良心があります。

自動的に起こる反応(自然現象)のまま行動することもできるし、

そうしなかったり、別のことをしたりと選択することができます。

私の先生のたとえ話をここで紹介します。

スーパーの前にロバを紐でつないで買い物へ行った人がいました。そのロバの後ろに来た人がロバに蹴られて怪我をしました。その時、誰もロバを責めたりしません。ロバは後ろが見えないので、後ろに気配を感じると怖くて蹴る習性があります。ロバは習性通りにしか行動できないので、当然ながら、ロバではなく、ロバを紐でつないでおいた人に責任があるので、その人を責めるでしょう。

人は選択ができますが、動物は選択ができません。

選択できる自由意志を持っているのが人間の特徴だと言われます。

人は動物に比べて自意識がとても高いので、客観性を持っています。

だから、人はあくびがしたくても、眠くても、トイレに行きたくても、泣きたくても、笑いたくても、怒りたくても、そのまま行動することもできれば、我慢することもできちゃうんですね。

自分に客観的に気がつけちゃうので、人と比べてコンプレックスを持ったり、共感したり、思いやりを持てたりもできます。

出産の時は、動物になりなさい!って助産師さんに言われたっけな〜

人目を気にしているうちは生まれないわよ!って

大声でも便でも、なんでも出しちゃいなさい!って(笑

全開でも受け止めてもらえる肯定感が、すごーく心強い言葉だったなぁ

出産、楽しかった〜!

それはそれとして。

例えば、怒りのままに暴言を吐いちゃうことがありますが、それも動物みたいになっているということか…(笑

人を傷つけたり、迷惑をかければ、すぐに心地悪さや気まずさとして自分に返ってきますね。

あーまたやっちゃった〜…って

作用反作用の法則のように、行いの結果は行いをした本人に必ず返ってきます。

不調和(傷つけたり、嘘をついたり、盗んだり)を選び続ければ、考えはどんどん混乱していきます。

人間は他の動物とは違って、自由意志を使って、この宇宙を保っている秩序(ダルマ)に影響を与えることができますから、個人の私利私欲でやりたい放題に行動をしていたら、あっという間に社会の規律は失われ、動物や人間が生きられる環境が破壊されてしまいます。

人は安全や喜びを求めて行いをしますが、全体の調和が保たれていなければ、個人の安全や喜びは成り立たないので、全体の調和や秩序を無視して安心も喜びもあり得ません。

客観的な視点を使って、全体の中で生かされている個人の私に、今求められていることを選び続ける、今の自分に与えられた役割を全うする、自分に備わっている良心に従って選択をし続けることで、考えは綺麗に整い、はじめて安心や喜びが叶います。

あなたがダルマを守るなら、ダルマがあなたを守ります。

インドにはそんなことわざがあります。

人間に生まれたからには、人間に与えられた能力(知性)を使うこと、その価値がヨーガでは教えられています。

知的に生きるということは、客観性を持つということと切り離せないのです。