カルマとダルマ

ヨーガの聖典によく出てくる大切な言葉です。

「カルマ」は「行い」(するか、しないか、するならどうするかの選択)のことを指し、その結果は法則によって返されるものなので、個人のお手柄ではない、としています。

例えば、勢いよく壁を殴れば、同じ力で壁から殴り返される。
壁を殴るかどうかの「選択」は個人の自由意志に委ねられているけれど、同じ力で壁から殴り返されという「結果」は、作用反作用の法則によって平等に返されるもの。
「選択」のことを「行い」、つまり「カルマ」と呼びます。

今、この瞬間が実っているのは、過去の自分がしてきた数々の選択の結果が実っている、とヨーガの聖典は言います。個人の目からは、どの「行い(選択)」が、この結果を実らせているのか、ということはブラックボックスのようになっていて分からないので、偶然や奇跡、ラッキーやアンラッキーとしか言いようがないのですが、私一人だけではなく、無数の人の行い(選択)が絡み合って、法則は超平等に結果を実らせている、と言うのです。

物理学の法則、医学の法則、お天気の法則など…この宇宙の秩序を支えている法則が働いているので、発見されている法則をもとに予測をたて、結果を計算して出すことができます。どんな角度でどのくらいの強さでボールを投げると、どこへ落ちるか…等
しかし、宇宙には発見されていない法則のほうが数限りなくあるようです。インドではありとあらゆる側面からこの宇宙を表すため、様々な法則の数だけ神様が描かれています。親しみやすく思い描くことができるように、色とりどりのキャラクターが物語の中に登場し、この宇宙の秩序を教えます。

例えば、人に嘘をついたら、後ろめたさや心地悪さとして、すぐに結果が返ってきます。
嘘をつかないことより、好ましい状況を手に入れることの方が価値があると見なしているので、嘘をつきます。
得をするように見えるので嘘をつくのですが、考えには葛藤が起き、嘘を嘘で塗り固める為の思考が始まり、考えは混乱します。
目先の安心や束の間の喜びを手に入れようとしてついた嘘が、結果的には後々の自分を苦しめてしまうことになったりします。

嘘をついてはいけない理由は、自分自身に対する信頼を失うからだ、とヨーガの聖典では教えます。
なぜなら、人間は誰でも100%の自己受容を求めて生まれてきているからです。人に認められて安心とか、学歴や資格があるから安心というのではなく、家族があってもなくても、若さや健康があってもなくても、何があってもなくても、自分自身が安心や安全そのものの意味であるとみたい、その願望から生まれてきているからなのだ、と言います。
安心や安全を叶えてくれそうな状況の為についた嘘によって、自分自身への信頼を失う、つまり、誰もが一番求めているはずの自己受容が遠ざかってしまう、と教えています。

「ダルマ」とは「秩序」のことで、「調和」や「調和的な選択」のこともダルマと言います。ダルマは良心という形で私たちに備わっています。誰でも嘘をつかれたくない、盗むことや傷つける事はいけない事だ…等、ハーバード大學の学者さんであれ、アマゾンのインディオであれ、いつの時代の人でも、誰に教えられなくても知っている普遍的な善悪の判断のことです。

自分自身の中にも表れている、宇宙の秩序「ダルマ」を無視して、行いの結果に執着することで、釜戸に油が注がれるようにヒートアップして更なる行いへと駆り立てられます。
そんな時、「ダルマ」は丁度ブレーキに例えられます。

自分のやりたいこととダルマが一致していれば、何も問題がないけれど、たいていの場合そうではないので、成し遂げたい何かをするときの方法として、ダルマに沿った選択をし続けると、考えの葛藤や混乱が無くなり、成熟した考えを得られると教えられます。

個人の主観である好き嫌いを選択の基準にすることなく、ダルマを選び続けることが、カルマ・ヨーガです。モークシャと呼ばれる「自由、100%の自己受容」をゴールに定めたヨーギーにとっては、カルマ・ヨーガはモークシャを叶えるための道具や手段になることが、バガヴァッドギーターなどの聖典で教えられていることです。

ヨーガの聖典ギーターでは、私とは何か、宇宙とは何かを知らない「無知」により、満たされるための行いに日夜駆り立てられている、行いの束縛、終わりのないサイクルからの自由を求めるヨーギーに教えられる真実、それを叶える為の手段、カルマ・ヨーガと瞑想が丁寧に教えられます。

物語の中に出てくる登場人物はみな、私たちの中にもある感情や思考を持っていて、人生のあらゆる局面において、湧いてくる思いを見事に表しています。

知れば知るほどに、感動します。
今、まさに自分自身に起こっていることと、同じことが物語の中で表現されているいます。そして、その中でヨーガの教えが説かれるのです。ヨーガの教えは普遍的です。